麺食文化の発祥と遣隋使・遣唐使
小麦粉は、紀元前7000年頃にメソポタミアで栽培が始まったとされている。その栽培技術が、シルクロードを通って中国に伝わり、新しい食文化である『麺』が誕生した。このようにして、麺の発祥の地は中国であると一般的には考えられている。中国では前漢時代の黄河中流域の西安、山西省太原、河南省洛陽を結ぶ三角地帯で麺食文化が様々に発展して、各地に広まったものである。
当初の『麺』とは小麦粉のことを指した。その小麦粉を水で、練ったものを『餅(ビン)』と呼び、それを焼いたり、揚げたり、蒸したり、茹でたりして食していた。その中で茹でて食したものが『湯餅(タンビン)』で、これが世界の面のルーツとされている。
勿論餅(ビン0はひも状のものではなく、平たい団子状態であった。練った小麦粉を平たく伸ばして刻んだ『剪刀麺(せんとうめん)』が登場したのは唐代(618~907年)、これが宋代(960~1127年)に及んで『切麺(せつめん)』と呼ばれるようになり、やがて単に『麺』と呼ばれるようになった。
日本には8世紀の奈良時代に中国から渡来したといわれており、当時の古文書に『索餅(さくべい)』『麦縄』『田束』など、中国の麺を表す文字が記されている。渡来には7世紀初頭から始まった遣隋使、遣唐使が大きな役割を果たしたものと思う。
空海の生まれ故郷である香川県では『讃岐饂飩(うどん)は弘法さんが唐から持ち帰った』という伝承がある。空海が密教を学んだ青龍寺をはじめとする各寺院には、麺料理専門の僧が居たと言われており、その技術を持ち帰ったと推測できる。麺文化は日本には空海の100年以来に伝来しているので、初の麺伝来者とはいえないが、『切り麺』など、新しい麺作りの知恵を持ち帰ったことは否定できない。