西安とシルクロード
砂漠を行く駱駝のキャラバン、地平線に沈む夕日、エキゾチックな顔立ちの人々、仏教遺跡...。シルクロードという響きには、悠久のロマンが秘められている。点在するオアシスの町は、誰しも憧れる場所だろう。
遥かなる交易の路
紀元前2~3世紀ごろ、中国の長安(現在の西安)とイタリアのローマを結んだ交易の道がシルクロード。中国からヨーロッパに運ばれた主な交易品が絹だったことから『絹の道』シルクロードと呼ばれている。
ユーラシア大陸を横断して行われた交易は、物品にとどまらず、文化文明や芸術、宗教などに及び、様々な交流が行われた。特に隋・唐の時代には仏教文化が花開き、玄奘三蔵をはじめ、多くの僧侶がインドを往来している。やがて、仏教は朝鮮半島経由で日本に伝わった。民族の交流も盛んに行われ、イスラム色の強い文化も伝来。現在でも各地で開催されるバザールに、かつての面影が見られる。
西安から始まるシルクロード
都が置かれた西周から唐まで、西安は中国の中心地として、繁栄の一途をたどる。その大都市から西に伸びる道が、広大な大地の谷を縫って、砂漠の中のオアシス都市を繋いでいる。
蘭州を経て、祁連(キレン)山脈の北側の河西回廊と呼ばれる谷を行く。明代の万里の長城の最西端にあたる嘉峪関を過ぎるとやがて道は三方に分かれる。一つは天山山脈の北を通る天山北路。敦煌からハミ、トルファン、ウルムチ、カザフスタンを抜けてトルコからローマへいたる道だ。天山山脈の南を通るのが天山南路。敦煌からトルファンまたは楼蘭を経てコルラ、クチャ、カシュガルを辿り、パミール高原を超えてイランからトルコに抜ける。そして、もう一つがタクラマンカン砂漠の南側を行く西域南路だ。敦煌から楼蘭、チャルチャン、和田(ホータン)、ヤルカンドを経てカシュガルへ。主にこの3ルートが、オアシスルートと言われる。陸のシルクロードなのである。
現代のシルクロード
シルクロードの存在は、唐代以降、国家の分裂などにより、次第に薄れていってしまう。再び注目されるようになったのは、清朝末期の20世紀にはいってからのこと。敦煌の莫高窟で経典を発見され、膨大な仏教美術の存在が知られたからだ。その後、各地の遺跡の調査、研究が行われ、仏教芸術の宝庫として、民族の交差点として、人々の心を引きつけている。
現在、訪れることのできる敦煌以西の主な都市は、ハミ、トルファン、ウルムチ、コルラ、クチャ、アクス、アトス、カシュガル、ヤルカンド、ホータンなど。鉄道もカシュガルまで伸びている。
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