シルクロード(絹の道)という言葉は、ドイツの地理学者 F. リヒトホ-フェンが中央アジアの交易路を指して用いたのが始まりと言われています。
ヨーロッパとアジアとを結ぶこの道は、東西貿易の目的で古代よりあったことが知られています。当時の中国の主要貿易品であった絹がシルクロードの名前の由来です。
シルクロードは中国の古都長安(現:西安)に始まり、アジアを西に横断し、ペルシャ、ローマを経てヨーロッパに通じる交易路で、全長は七千キロにも上ります。
この貴重なシルク製品(絨毯かchina服など)を求める為の隊商路の主要な路線は次の3本にあったそうです。
- 敦煌(とんこう)からアルトゥン山脈に沿い、ホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南辺のオアシスを通過してパミール高原に達する南方の交通路 (西域南道)。これが最も古い。砂漠の南を通ることから漠南路とも呼び習わす。
- 敦煌からトゥルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。この北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれた。天山山脈の北麓を進むことから天山北路とも呼び習わす。
- 敦煌から楼蘭(ろうらん)を経てコルラに達する中央路は北方路よりも古く、南方路と同じ頃の紀元前2世紀にさかのぼり、最も重要な隊商路として4世紀前半まで使用されていた。天山南路あるいは漠北路ともいう。
現在の日本ではときには、シルクロードの通過する地域である中央アジアを地域的に指す言葉としても使われることがあり、日本ではシルクロードの通る地域は、中国で伝統的に言った「西域」(さいいき)という言葉とともに広く知れ渡っている。 |