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沙漠の大画廊・仏教美術の宝庫・世界文化遺産の莫高窟・シルクロードの魅力的な街・『敦煌の旅・敦煌満喫』をどうぞ!
敦煌は甘粛省河西回廊の西端に位置し、海抜1138m、人口約15万、年間降雨量39,9mmの砂漠性気候のオアシス都市です。
敦煌は紀元前111年の西漢時代に敦煌都として設立されて以来、歴代シルクロードの交通の中枢として東西文化交流の中心地となって来ました。
市内には名所旧跡が多く世界的に有名な世界遺産・莫高窟千仏洞をはじめ、美しい砂丘の連なる鳴沙山、神秘のオアシス月牙泉、古代シルクロードの二つの要衝・陽関と玉門関、漢代の万里の長城遺跡、河倉故城、白馬塔、三危聖境ほか歴史的遺産の宝庫である。
莫高窟千仏洞 仏教美術の粋を集めた砂漠の中の大画廊
莫高窟は敦煌東南25kmの鳴沙山東麓の岩壁に掘られており、石窟の長さは約1,618mで、掘削は紀元366年に始まった。
現存する492の石窟には合計4万5000平米の歴代の壁画、2,400体を越える彩色塑像、唐・宋時代の五軒の木造建築等が残っている。
莫高窟千仏洞は古代仏教美術の宝庫として、1991年に国連ユネスコ連盟によって世界文化遺産に指定されている。
鳴沙山と月牙泉
シルクロードで最も美しい砂丘が連なる鳴沙山は、敦煌市西南5kmの所にあり、東西の長さ約40km、南北の幅約20km、最高峰は海抜1,715mで、五色の細かい砂粒の集まりで出来ている。
月牙泉は鳴沙山の北麓にあり、周囲を砂丘に囲まれたオアシスで、湖面が三日月の形をしていることからこの名が付いたものである。
砂丘の真ん中にありながら1,000年以上も枯れたことのない神秘のオアシスの湖内には、鉄背魚や七星草が生息しており、これを食べると長生き出来るという言い伝えから、月牙泉は別名「薬泉」とも言われている。
陽 関 漢詩で有名な漢代の要衝関
唐代の詩人・王維が友人との別れを惜しんで詠った「西のかた陽関を出ずれば故人無からん・・・」の漢詩で有名な場所。
古代シルクロードの軍事通商の重要関門で現在は赤褐色の狼煙台が残るのみであるが、前方に広がる茫々たるタクラマカン砂漠を見渡す狼煙台に立つと、そこはかとない詩情が漂う。陽関の周辺には今でも砂嵐の後などに陶片やコインが発見されるため"骨董灘"と呼ばれている。
玉門関 異民族が対峙した西域攻防の最前線
陽関と並び西域・天山南路へ通ずる重要な関門であった玉門関は、古来より異民族との攻防の地として漢詩にもよく詠まれており、唐代の詩人・李白がこの地を詠った「漢は下る白登の道。胡は伺う青海の海。由来征戦の地。見ず人の還るあるを・・・」も有名である。シルクと玉石が交換された玉門関は今も城壁が残り、玉門関を守る屯田兵たちの食物倉庫だった河倉故城や漢代長城遺跡と共に、古代シルクロードの盛衰が偲ばれる。
ヤルダン魔鬼城
ヤルダンとはウイグル語で「険しい崖のある土丘群の地」の意味で、風蝕で出来た様々な形の土丘が南西約25km、幅約2kmに及んで連なり、見事な砂漠の造形美に圧倒される。
玉門関の西約65kmのところにあるが、今では玉門関を通ってヤルダン魔鬼城まで舗装道路が完成したため、敦煌市内より約2時間半で砂漠の造形美を堪能できる。
西晋墓壁画
敦煌空港の工事中に発見された西晋から東晋時代(紀元329年)の貴族墓で、墓内のレンガには当時の市民生活や社会、経済の様子がきめ細かに描かれており、漢・唐時代の生活状況が解る貴重な文化遺跡である。
楡林窟 盛唐時代の秀逸な壁画が残る
敦煌から東南へ約180kmにある楡林河の峡谷の両岸に開鑿された大規模な石窟で、俗称万仏峡という。
現存する石窟は唐代から清代までのもので41窟あり、壁画の総面積は5650平方メートル、塑像は約270体残っている。
楡林窟のみどころは壁画で、とくに25窟の西方浄土変と弥勒浄土変は唐代壁画の傑作とされている、主室は極楽世界を象徴し、弥勒経変、観無量寿経変、八大菩薩曼荼羅経変が描かれています。また、2窟、3窟、4窟の西夏時代の石窟は 謎の多い西夏文化を研究するたの貴重な資料となっている。
西千仏洞 北魏 、唐時代の壁画のある石窟
敦煌の西方約35kmの党河の岸壁に開削された石窟で、莫高窟の西に位置することから西千仏洞と呼ばれる。現存する石窟は16窟で、北魏、唐時代の莫高窟と同系列様式の壁画が残っている。
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